園山二美の記憶
園山二美の26年ぶりの単行本1が出るということで懐かしくなり、そういえばコミックビームで描くようになる前の園山二美について全然知らないなぁと思って色々調べた内容を作品リストにまとめた。自分の好きな漫画家の中でも読者としての付き合いは特に古く、一番思い入れのある漫画家といってよいだろう。その思い入れを行動で証明したかった。ここではその思い入れ自体について、わたしがリアルタイムで園山二美の漫画を経験した頃について思い出しながら書いてみようと思う。いわゆる自分語りというものです。園山二美の紹介ではないので、作家については説明しないし、どういうところがいかに素晴らしいかとかいうことも書かない。
園山二美との出会いについて語るためには、そこに至るきっかけとなった桜玉吉とコミックビームについて先に述べる必要がある。わたしはもともとビデオゲームが大好きで、父が購読していたファミコン通信を読ませてもらっているうちに1995年頃から自らのお小遣いを使って購読するようになっていた。そこで出会い、人生ではじめて主体的にファンになった漫画家が桜玉吉である。そのころ既に『しあわせのかたち』の連載は終了していたのだが、ファミ通を発行していたアスキーから発表された、「しあわせ」のキャラが登場する『タワードリーム』というゲームの紹介記事などに出てくるイラストを見て「これは自分にとって重要な何かだ」と直観的にビビッときたのだと思う。なけなしの小遣いで「しあわせ」の単行本を毎月1巻ずつ買い揃えていき、最終5巻の内容のいくつかはかつて父に読ませてもらったファミ通で読んだことがあることに気づいた。そうしているうちにファミ通内の広告で桜玉吉が今はコミックビームという雑誌に描いていることに気づき、はじめてビームを購入したのが創刊から半年経過した1996年6月号である。当時ほかに読んでいた漫画雑誌といえば、これも自身で購読していたコロコロコミックと、父が購読していて読ませてもらっていた週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジンぐらいだったので、かなり段階をすっ飛ばしているように思う。
ちょうどこの号から連作短編として連載が始まったのが『蠢動』で、わたしも覚えていなかったのだが1話として掲載されたのは『続蠢動』に収録されている「伝染」だった2。それを読んでものすごい衝撃を受けた……というわけでもなかったが3、それまで読んできた漫画とはまったく毛色が異なるビーム掲載陣のなかでもとくに異彩を放っているように感じられ、掲載作以上に気になったのが創刊号に掲載されたという読み切り「狂人遺書」に言及した読者ページ「ビーム研究所」の以下の投稿だ。
また「ビー研ホームパーティー」なるこの読者ページのニフティサーブ出張所が開設されたばかりのようだった。それまでニフティサーブをやったことはなかったが、父が入り浸っていることは知っていたので頼んで見せてもらった。そこではおそらく自分よりかなり年上であろう人々がビーム掲載作やSF4、当時断筆していた筒井康隆などについて語らっていた。その中でも特に話題を集めていたのが「狂人遺書」だったと思う。どんな作品なんだろうと気になって仕方なかったが、2年後に単行本が出るまで読むことはできなかった。
その次の号の「信長」にはものすごい衝撃を受けた。作品としての素晴らしさに対してもだが5、ラブホテルで生々しい性行為を繰り広げる内容に、性的なものにまだあまり免疫のなかったわたしは「やばいものを見てしまった」と思った。その後「サルマタケ」の載っている号を読んでいたところ父にビームを取り上げられ「なにエッチなものを読んでいるんだ」とからかわれたが、「サルマタケ」は乳首が出ているだけでべつにエッチな内容というわけでもなく、これが「信長」じゃなくてよかったと思った6。
前後編で掲載された「宇宙のはじまり」もビー研ホームパーティーで話題になった。後述の小田中さんのレビューで言及されているように、その唐突にも見える終わり方に対する言及も多かったが、それまでの大人の性愛的なアレコレが描かれる話とは打って変わって作者自身が投影されていると思しき自分と同年代の主人公が自問自答する、同時期にビームに連載されていた『電波オデッセイ』とも通じる内容は95年にエヴァが放映され『ソフィーの世界』がベストセラーになった直後の世相に完全にシンクロしていたし、そのような切り口からの考察も多かったと思う。わたしはのちに高校は中退したものの登校拒否の経験はなかったし、この作品の主人公とはまったく違う人間だが、それでもなにか「自分のこと」が描かれているように感じられ、それが既に大ファンになっていた園山によって描かれたということが嬉しかった。
97年には『蠢動』の連載(第一期)が終了しすぐに女子プロレスを取り扱った連載『女の花道』が開始7するものの、1号休載を挟んだあとの4話にて突如終了し園山二美は一度「消える」。この流れをリアルタイムで読んでいたらかなりショックを受けていたのではないかと思うのだが、この頃はビームの購読をやめていたせいか記憶にない。『防衛漫玉日記』の連載が1月号で終了し『蠢動』の連載が2月号で終了したのでこのタイミングで買わなくなったのかとも思うのだが、「女の花道」の1話あたりは読んだような気もする。好きなのにちゃんと追ってないんかいとツッコみたくなるが、当時の限られたお小遣いの範囲で玉吉を欠いたビームを買い続けるほどの余裕はなかったのだと思う。
98年に『幽玄漫玉日記』が連載開始してからはビームの購読を再開し、年末には一度最終回を迎えた『蠢動』の連載が再開し初単行本も発売され園山二美は復帰を果たす。「狂人遺書」と「一人の夜」はここではじめて読んだ。この頃のわたしは毎晩テレホタイムにインターネットに接続するようになっており、のちにはてなアンテナで「漫画系サイト」と呼ばれるようになる「漫画に関するWebページ『OHP』」をはじめとした漫画感想サイトを読むようになっていた。そうしたサイト群においてコミックビーム、とくに単行本『蠢動』は大きな話題となっており、リアルタイムで連載に注目していた自分が誇らしくなったものだ。特に印象に残っているのはこちらの小田中さんのレビューで、わたしも園山の漫画は雑誌や黄ばんだ古本ではなく新品の真っ白な紙で読んでこそ真価が発揮されると思っている。後追いで『蠢動』や『続蠢動』を古書で買った人もぜひ今度の新刊の真っ白な紙で再読してみてほしい。8
連載再開後の作品は未収録2本を除き『続蠢動』に収録された。それまでと比べると絵柄的にも内容的にも落ち着きを増し『フィール・ヤング』のような女性誌的な作品性が色濃くなり、突飛な要素は控えめになった代わりに技巧的な完成度の高さが際立つ作品が多くなっている。作風が固まったという見方もできるかもしれない。今度の新刊もこの時期のものが中心で、この時期が一番好きだという人がいるのも分かるしプレ値がついている『続蠢動』収録作を多くセレクトするのも正しいのだが、ひとつの基準にフォーカスして「珠玉短編を選び抜」くよりも、園山二美ならではの毎回落ち着きなく作風を変えるような多面的な魅力を新規の読者に対して伝えてほしかったというのが正直なところだ。
復帰して半年、「コンビニキング」の続編「スーパークイーン」は柱に次号に続くとあるが、その次号は落としデビュー作「空の下で」が代原として掲載されまたしても「消える」。2000年2月号には以下のような異例の広告が出たが、以後ビームに再登場することはなかった。
この時からずっと、自分の中の一部分が凍り付き時間が止まったままになっているような感覚が続いている。漫画やアニメによく過去に若くして亡くなった想い人に囚われ続けているキャラが登場するが、そんな感じかもしれない9。好きな漫画家の多くは、キャリアを重ねるにつれて売れたり作風が変化したりしているうちに自分の関心からは少しずつ遠のいていくことになる。それは悲しいことかも知れないが幸せなことなのかもしれない。園山に関してはごく若い頃から大好きな漫画家だったこともあるが、このような別れ方だったので10心の整理をつけることができなかった。もし描き続けていたらIKKIや女性向け漫画誌で活躍していたような気もするし、他の多くの漫画家と同様に、少しずつ接点がなくなってときどき「園山二美って最近こんなの描いてるんだ」と思い出す存在になっていたのかもしれない。そのほうがよかったような気もする。
園山が「消えて」からしばらくして、ひなさき忘却録というブログに園山二美を回顧する記事を見つけた。そこには自分が園山を知るより前の時期についての知らない情報もあった。他にはこれも商業では見かけなくなった大好きな夏蜜柑という漫画家についての記事があり、こうした有名とはいえない「消えた」漫画家たちに囚われ続けている自分のような人間が他にもいることがわかって嬉しかった。今回の新刊の実現に向けて動いてくれた編集者の方もそうだと思う。文句も言いましたが、こうして実現してくれたことに本当に感謝しています。新刊には書きおろしの短編も収録されているということで、読める日を毎日ドキドキしながら待っている。
しかし、この25年パブサを続け、ほとんどすべての園山二美に関する言及に目を通してきたと思うが、今となっては園山に言及する人は本当に少ないし、今度の新刊が出たぐらいではこの状況はあまり変わらないような気がする。これは作風のせいではなく、もし描き続けていたり、あるいはスピリッツなど部数の出ている雑誌で描けていたらむしろ売れっ子になっていただろうと思っている。当時読んでいたビーム読者の母数が少なかっただけで、読んだ人間の間では確かに大きな話題になっていたのだ。園山二美ぬきにビームについて語っている人を見ると90年代にビームを読んでいなかったのだろうと思ってしまう。わたしは別に多くの人に園山の作品を読んでほしいわけではない。そうではなく、あんなに輝いていた園山二美が、それを確かに読んでいた自分が、まるで最初からいなかったかのようになっていることが寂しいだけなのだ。
Footnotes
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再録中心ではあるが ↩
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リストを見てもらえば分かるのだが、この前のビーム創刊号に掲載された「狂人遺書」は連載『蠢動』として掲載されたものではなく、その前のファミコミに掲載された「一人の夜」は「蠢動」とタイトルはついてはいるものの連載開始前である。 ↩
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そういうタイプの短編でもないので ↩
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当時のオタクは基本そうだと思うが、SFファンが多かった。 ↩
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個人的にいちばん好きな作品でもある ↩
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この父はそれ以前にもジャンプで『電影少女』を読んでいたときに同じことをしてきたことがあり、そのときに受けた辱めをわたしは今でも恨んでいる。 ↩
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余談だが、志村貴子『ラブ・バズ』は『女の花道』の影響を受けていると思う。 ↩
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追記: ぜんぜん真っ白な紙じゃなかった。電書版のほうがいいと思います。 ↩
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他の漫画家のように急逝したわけではないし、それよりは全然良いのだけれど ↩
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一度「消えて」復活しているので覚悟はしていたのだが、それだけにまた1年ぐらいで帰ってくると思っていた ↩